障害児育児 発達障害 知的障害

大復活の息子と、知的&発達障害ハイブリッドの子への自宅教育

おととい頭痛を訴えて学校を早退し夜ご飯もまともに食べられなかった息子。

その日の夜グッスリねて朝までトータル10時間寝たら大復活を遂げ、昨日はハサミを切る練習のドリルをやったり小1用の国語ウンコドリルをやってお腹がよじれるほどにゲラゲラ笑っていた。

昨日の夜~今朝も10時間眠り、元気いっぱいに朝からママに卵かけごはんを作ってくれた。

昨夜から「明日のママの朝ごはんはボクが作るよ♪」と宣言してくれていた。

ちなみに夫氏は何日か前から家にはいない。

本当はベーコンエッグとホットケーキが食べたいのだがそんなことは口が裂けても言わないのが大人のたしなみだ。

雑穀入りの白米・お醤油・味の素を混ぜ、テーブルの上にスプーンと共に並べてくれた。

「ママどうぞ♪」

かわいいぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!

なんて良い子なの!!

しばらくハグタイムだ。

ハサミでのカットは、キレイなカーブを一切のガタつきなくカットするレベルには到達していないが、トミカサイズのだいぶ細かいものもカットできる。

数年前に買ったドリルがもったいないから「とりあえずカットしきってから捨てよう笑」と渡して直線を切っているだけだ。

国語に関しては、漢字は大得意。

そして説明文の文章題はそこそこ得意。

内容理解しているというより、あれはもう答えの場所の選び方が分かっていれば取れるものだから満点近く取ることもよくある。

大学受験の現代文の勉強方法だって、答えの導き方ハウツーだしあんなもの感覚に頼らずとも高得点は取れる。

作者の気持ちになって答えなさいとかいう愚問が小中学校ではよく出ていたが、「知らん人の気持ちなんか知るかボケ、よく考えてから問題作れ」と私は思っていた。

息子の場合、物語文がかなり苦手だ。

やはり抽象的な表現が得意ではないのだ。

それこそ作者の気持ちなんて知るかよという感じだ。

会話文が続くともう、なにがなんだか分からなくなる。

だから俳句や漢文などそのまま覚えるのは去年(小5)もサクサクこなしたが、ぶっちゃけそこを細かく学んだところで息子はハテナである。

俳句や漢文てものが存在してて大体どんなもんかくらいで授業終えてOKですと担任には伝えていた。

ステキな俳句を作って褒められて息子は大満足である。

ということで、現在小6だが小1からのウンコドリルを使って無理なく楽しみながら自宅学習もしている。

ちなみに算数は得意&大好きなので通常カリキュラムで受けている。

とはいえ算数も文章題となると国語力が必要になってしまうので、文章題の意図を理解できていれば正解だったのにという問題もかなりある。

計算問題とか立方体の面積だとか、そいういう単純なものはフォローは必要ない。

さすがに小1の国語は楽勝でクリアできるが、それでも「このくらいはできるだろう」と思い込んで苦手箇所を見逃してはいけないので念のため小1からやっている。

昨日は「マグマうんこ」とかいうのが出てきた。

バスの運転手さんとマグマうんことの絡みだったのか、とりあえずマグマうんこに爆笑していたが、

「マグマって何か知ってる?」

「岩がドロドロに溶けて熱くなったものなんだよ~。」

「耐えられなくなると、地面の中かからバァァァァン!って爆発して出てくるんだよー!」

と息子に話かけると「知らない」との答えとともに興味アリアリな目にキランと変化した。

息子は噴火や津波や地震や台風や雷や雨など自然現象にものすごく興味を持っている。

だから昨日はNHK for schoolかなにかNHKのサイトから火山・噴火・マグマについて分かりやすく説明したり実験したりしている動画を一緒に見ながら、適宜むすこに分かりやすい言葉に変えて解説をしてあげた。

意味不明なマグマうんこから、息子の知識は面白さのもと一気に広がりを見せた。

「あっ、ボク水蒸気知ってる~!!」

「富士山しってる!」

「火山って聞いたことある!」と嬉しそうに教えてくれながら楽しそうだった。

そして、説明されていた防災についても分かりやすい具体的な説明を加えた。

車を運転しながらも、目に入るものについてなるべく分かりやすく嚙み砕いて説明してあげるようにしている。

軽度知的障害だから分からないとか、発達障害だから無理だろうとか、そういうことは私は考えない。

相手が理解できないということは説明するこっちの方法が悪いんだくらいに思って接している。

(とはいえ、いつか分かってくれるはず!という期待をしているわけではない。)

一般的な説明で理解が難しいなら、どういう説明のしかたなら分かるだろうか・どんなアプローチなら理解が深まるだろうかと考えては試しての繰り返しだ。

別にそれで良い学校へ行ってほしいとか障害がない子と同じようになってほしいというわけではない。

「分かった!」はその子の成功体験や自己肯定感を高めることに繋がるだろうし、自分の頭の中にその言葉が入っていて「だいたいこんな感じのもの」と理解していれば他者との会話に面白みがふえたり日常生活に役立つことがあるだろうとの思いからである。

例えば私の大学時代からの親友(女)は、言葉遊びが大好きだ。

以前その子が1人暮らしをしていた時に体調をひどく壊して寝込んでいた時の思い出話をしていたとき、『咳をしても一人』とボソっと呟いた。

その瞬間、私は大笑いした。

「これにすぐ気付いて笑ってくれる友達はMiikoくらいだよ笑」と、親友は満足げにニヤついた。

俳人、尾崎 放哉の句だ。

中学生くらいだったか、国語の資料集の端にいたのだが「せつねぇぇぇ泣」と思った強烈な記憶があって覚えている。

国語とか社会の資料集めっちゃ好きだった。

ただ頭の中に残していた知識だけで言葉遊びを楽しむことができたのだ。

このくらいで良いのだ、知識なんて。

1つの事を深く理解していなくたっていい。

知っている言葉・そしてそれがどういうものなのかの大雑把な理解が頭のどこかの引き出しに入っていたら良い。

それがいつの日か、役に立つ時がくるかもしれない。

点と点とか繋がって線になることで「なるほどーーーーー!!!!!!」な、アハ体験があるかもしれない。

「この知識とこの知識はここで繋がってこう活用できる!」ということが発生するかもしれない。

というか必ず発生する。知識とはそういうものだ。

知っていることが自分を守ることにも繋がる。

知識は武器なのだ。

人に騙されないことや、危険から身を守ることや、「自分から知識・情報を取りに行く」という知識やその方法も、全てが武器になるのだ。

たとえば病児育児をしていると、障害者福祉について「自治体は何も教えてくれない」と嘆く声をよく聞く。

だが、サービスとしては準備されている。

それは知っているのに、いつまでも嘆いているだけなのだ。

なぜ?

情報やサービスを自分から取りにいけばいい。

でも、嘆き続けている人はその情報の取りに行く方法を知らないのだ。

窓口に行けば良いだけなのに、もしくは福祉課に電話をして「教えて下さい」と相談したら良いだけなのに、その考えに到達できないのだ。

なぜなのか、私は今でも理解できない。

本当に申し訳ないが、全く理解できない。

結局これも、「教育」であったり自分の思考による結果なのだと思っている。

私は親から「なんでも自分でやれ」という方針で育てられた。

それは一方で「放置」という部分もあったから発達障害(かも)の部分で相当苦労はした。

だが、自分でなんとかしないといけないという思考・自分次第で未来はどうにでも変わるという考えは恐らくこの中で培われた。

息子にもそれは伝えるようにしている。

あなたが生きていくには、誰かの助けや優しさが絶対に必要であること。

「助けて欲しい」といえば助けてくれる人はたくさんいること。

だから、「誰かが勝手に助けてくれる」ではなく、自分から伝えることが大事だということ。

そのために、何を助けて欲しいのかをなるべく具体的に伝えられる力をつける必要があなたにはあること。

だからウンコドリルがんばろう!

苦手な部分を定型並みまで引き上げることは全く目的ではない。

でも、苦手だからと完全に諦めてしまうと生きていくには足りない部分が出てしまう。

だから、困らない程度までには引き上げよう。

学校の先生たちにも伝えていて、協力をお願いしている。

なかなか大変ではある。

完全に忍耐力が試される。

でも、親としてしてあげられることは全てしてあげたいのだ。

シンプルに寿命的には息子の方が短い。

でも、私や夫氏が病気になったり事故にあったりして息子1人が残される可能性だってあるのだ。

さまざまな可能性・パターンを考え、学校の先生や支援員さんや発達の先生の意見・知識と協力も借りながら早め早めの行動をしている。

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

Miiko

指定難病×医療的ケア児×軽度発達障害×軽度知的障害の小6を育てるママ。専業主婦歴13年。料理が大嫌いで仕方ない。高校時代は金髪egg系黒ギャル。

-障害児育児, 発達障害, 知的障害