息子が亡くなり、義父母が家にやってきた。
車で一時間ほどの場所に住んでいた義父母は、内孫ということもありそれはそれは息子を可愛がってくれていた。
息子に関して、なにかにつけて「◯◯家(夫側の名字)の子だから」と義母はよく言っていた。
私の親や私の妹が息子になにかをしてあげると、「本当にありがとうございます」と、一見丁寧ではあるが他人へしているような対応をしてあくまでも「うちの一族の子」を端々で感じられる態度であった。
私の親からしてみれば大事な孫の一人だし、私の妹からしてみれば大事な大事な可愛い甥っ子だ。
むしろ夫の弟は、近くに住んでいるのに息子が生まれてから亡くなるまでの間に1度しか会ったことがない。
そんなだから、家族葬をしたにも関わらず夫の弟だけが呼ばれもしなかったというエキセントリックな状態が生まれていたほどだ。
家を断絶させないために、婿養子に入れる人という条件で結婚相手を探していた義母であるため「家」に対してそれはそれは強く想うところがあるのだろう。
とはいえ私の実家側家族に対してぞんざいな態度を取っていたわけでも嫌がらせをしていたわけでもなかったし、どちらかといえば崇めていたのでスルーするようにしていた。
そんな義母、息子の遺骨の分骨を希望した。
分骨を希望するか私から聞いたとき、いらないと義父は即答した。
ちゃんと心の中にいるから、と泣きながら言ってくれた。
ところが、その義父の後ろで義母はソワソワしている。
婿養子とはいえ、義父のほうが力関係は強い。
お婿さんというとマスオさんを想像するが、義父は婿養子入した先でも相当強かった。
そんな義父が「分骨はしなくて良い」と言ったものだから義母は従うしかなくなっている。
だが、義母が分骨を望んでいるのはわかりやすいくらいにわかりやすかった。
実際息子のために本当によくしてくれた。
食べることが大好きな息子が望めば、訪問数時間前の突然の連絡でも息子の大好きなメニューを大急ぎで作って待っていてくれた。
一緒に遊んでもらうのが好きな息子が望めば、何時間だって息子のペースに合わせて遊びやお話に付き合ってくれた。
息子が亡くなる前、タケノコごはんが食べたいと言う息子のために、まだタケノコには早すぎる時期から毎日のように山に入り少しでもタケノコを取れないか一生懸命に探して取ってきてくれた。
本当に本当に仲の良い2人だった。
だからこそ、願いを叶えてあげたいと思った。
「肉体は滅んでも魂は生きているから」
私と夫と同じ感覚の義父と義母。
それでいて義母も霊感が強い人なので、より「魂は死なない」ということを分かっている。
それでも、しっかりと目に見える形として孫が生きた証をそばに置きたいという想いがあるのだと思った。
孫が生きがいでもあったそんな義母の心の拠り所になればと思い、
義父母が帰宅する寸前、「おかあさん、分骨、大丈夫ですよ?できますよ?」そう話しかけた。
「本当に?いいの?」
「え、ほしいの?」
「だって、すごい仲良かったんだよー私たち(泣)」
そんなやりとりが義父と義母でなされた後、分骨をすることが正式に決まった。
分骨をするための小さな可愛い骨壺を急いで買った。
息子がよく着ていた服の色にそっくりだった。
葬儀屋さんにも大急ぎで連絡をし、火葬場で分骨用の骨壺にも入れてもらう手筈を整えて追加の料金も支払った。
そして葬儀・火葬当日。
滞りなく進み、火葬も終わった。
葬儀・火葬のとき、私は絶対に泣かないと決めていた。
息子が大好きだった日常に近づけてあげたかったからだ。
現世での使命も修行も早々に終えて優等生で卒業したお祝いの気持ちでいたかった。
みんなが明るくワイワイしているのを見ているのが好きだった息子。
その中にそっと自分もいて笑っているのが大好きだった息子。
ママが笑っているのが大好きでいてくれた息子のために、どんなに寂しくても絶対に泣かない。
息子が大好きな明るいママの声を最後まで聞かせてあげたかった。
いつもママの心配をしてくれていた息子に、これ以上心配をかけたくなかった。
可愛い息子の体が焼かれ骨になり、こんな体で最後まで頑張って立つリハビリをしていたのか・こんな状態で最後まで前向きに未来を見つめていたのか・本当にしんどい中で笑顔を見せてくれていたのだなと改めて思うほど、残酷なまでに骨が穴だらけでスカスカになってしまっていた。
必死に我慢していても、涙が何度もこぼれそうになった。
一度こぼれてしまうと止まらなくなることが分かっていたから、必死にポジティブなことを考えていた。
なんという精神力の強さだったんだろう。
なんと魂の格の高い人だったんだろう。
こんな素晴らしい人の親にさせてもらえたことに今まで以上より一層の感謝をしなくてはならない。
骨壺への収骨が終わり、義母が分骨用の小さな骨壺を両手で大切に包み胸に抱いていた。
義父が義母に寄り添い、2人で大事そうにその骨壺を見つめた。
そして義母が涙声でこう言った。
「これからは(おじいちゃんおばあちゃんと)3人で一緒に暮らそうね」
(待て待て待て待てーーーーー!!!!!!!!!)
(うちの子!私の子!)
叫ぶ私の心の声が義母に届くはずもなく、息子は無許可で養子に行ってしまった。
おかげさまで涙は引っ込んだ。
それから数週間後、義母から夫に電話が来た。
「3人で調子よく過ごしてるから、こっちは心配ないよ!」
「ごはんの時も3人でお話してるよ!」
どうやら息子は引き続き祖父母宅での養子生活を楽しんでいるようだ。
丁寧でお世話好きの義母のことだから、毎食できたての美味しいご飯を用意してもらってるんだろうな。
うれしいね、ありがたいね、息子ちゃん。
亡くなる前日も、おばあちゃんが作ってきてくれたごはん、食べたもんね。