むすこ亡き後

亡くなった息子への執着を手放したことで・・・

息子が亡くなってもう少しで8ヶ月。

亡くなって半年くらいで「あぁもう大丈夫だ、大きな波は去った」と完全に思えて、息子がお世話になった人たちへの改めての直接お礼周りもできました(亡くなった直後に一度お礼はしています)。

息子の主治医の許可のもと、息子のために薬を手に入れてくれた遠方に住む叔父(医師)や、都合が合わずにまだ会いに行けていない方々もいますが。

生活のほぼ全てを息子に全フリしてきた13年間。

もう少しで誕生日だったので、ほぼ14年。

切迫流産を経てほとんどの期間を絶対安静で過ごした妊娠中も含めると15年。

とにかく息子の存在・息子を生かすこと・息子が笑顔で過ごせる毎日を作ることが私の全てでした。

そんな息子がこの世を卒業して、目の前からいなくなった。

息子のために使っていた全ての時間がぽっかりと空いて、体の一部どころか全てがなくなったような気持ちにもなって、なにをするでもなくただボーッとするだけで1日が終わるなんてこともありました。

息子が生まれてからというもの悔いのないように息子との毎日を過ごしてきたし、素晴らしい緩和ケアチームの助けもあって、医師たちが予想していたどのパターンの息の引き取りかたでもない、理想とする最期の時を迎えさせてもらうことができました。

それでもなお、「悔い」なんてものは作ろうと思えばいくらでも脳内で作り上げることができるわけです。

食べることが大好きだった息子にもっともっとたくさんの美味しいものを食べさせてあげたかった。

大好きだったトミカでのごっこ遊び、もういいよって引かれるくらい本気でやってあげたらよかった。

使命を終えて早々に現世を卒業していった優等生の息子。

今はとても幸せで美しい世界で楽しく過ごしている息子。

だから、息子の死は悲しいものではない。

けれど、息子がいない寂しさというのはどうしようもないわけです。

ママが泣いていると、あちらの世界にいる息子に心配をかけてしまう。

息子は私の笑顔が大好きだったから、これまでと同じように笑顔でいなければ。

違和感に気付きながらも自分の感情を無理矢理おさえて前を向こうとする時間と、自分の感情そのままに過ごす時間が交互に押し寄せてきていて、だんだんと自分の中から生気が失われていっていることにも気付いていました。

けれど息子がいないこの世界で生きていく理由がもはや見当たらない中で、必死に生きていこうという気にもならないわけです。

いつあの世へ行っても悔いのないように生きてきたのは子供の頃からずっと続けてきたことなので、現世ですべきことをやり遂げた息子を空へお還しした私はもう、そういう意味では悔いもない。

現世での私に課せられた使命がもしも「息子を守る」だったのだとすれば、それはもうやり遂げたのではないかと思い、生気が失われていっているという状況に抗うこともせず、また一方で「今はこうしてひたすらに自分自身と対話をする時間なのだ」とも考えていました。

というのも、大切な人を亡くした後におとずれる遺された人間側の心の移り変わりというのを事前に頭に入れておいたからです。

悲しみ・怒り・落ち込み・受け入れなど、様々な段階が訪れる。

生を受けた瞬間に死と共存するものだから誰にでも必ず死は訪れるし、死そのものは悪でも怖れるものでもないと私は考えているため、息子の死もまたマイナスには捉えていません。

だからなのか、「喪失感でここまで堕ちるのか・・・」という内側からの視点と、「この鬱状態は事前に分かってはいたことだ、私にも来たのか。いつか過ぎ去る、年単位レベルの長期続く場合だけ注意しよう。」という少し俯瞰的な視点の両方が混在していました。

そんな時を過ごしながら、たった一つだけ自分へ課していた守るべきものは「自ら命を断たないこと」。

それだけは絶対にすまいと、どんなに心が苦しくてもひたすら踏ん張っていました。

自ら命を断つとあちらの世界でも息子に会うことが叶わないと信じているし、例えそうではなかったとしても、最期の最期まで生きる希望や目標を失わず前を向いていた息子に顔向けできないからです。

息子に「生きてほしい」と強く願い15年間必死に駆けずり回った私が、相反する行動をしていいはずがない。

自分ができないことを相手に望むなんて、そんな人間でありたくないし親としてそんな姿を見せたくない。

鬱状態に片足突っ込んでいるなと思って過ごしていた期間はトータルで1ヶ月~1ヶ月半ほど。

ボーッとしたり、少し気が向いたときは本を読んだり。

そうして必死に踏ん張っていたある日のこと、ふと頭に浮かんだのが

「あれ・・・?私、息子(という存在)に執着してない?」

それと同時に、これは絶対に絶対にイケナイモノだと感じました。

とても良くない、念のようなものだと。

「息子を想うこと」と「執着」は似て非なるもの・完全に非なるものだと私は思っています。

息子を想うことは100%息子への愛情、無償の愛です。

けれど執着となると、そこにあるのは息子への愛情ではなく自分への愛情です。

完全に私自身の解釈ではありますが、私は自分のために自分可愛さに息子を縛っている可能性があると感じました。

痛くて苦しくて自由に歩いたり走り回ることもできず我慢の連続だった生活から解放されてようやく息子は自由に駆け回れる生活を楽しもうとしているのに、誰よりも息子を愛している私が、我が子の幸せを邪魔してしまっていると思いました。

息子が遺してくれたことや与えてくれたものは、悲しさ・苦しさ・闇・依存だった?

そうじゃない。

完全に真逆だった。

小さな頃からどんな時でもいつでも笑顔で明るくて、他者への思いやりに溢れていて、どんな時でも諦めず、不平も不満も悪口も言わず、むしろ感謝の言葉で溢れていて、自分にできる範囲でいろんなことにチャレンジして、一番好きなお花は向日葵で、まるで太陽のような子でした。

息子が確かに存在したこの世界を、私の闇で覆ってはいけない。

息子がくれた沢山の優しさに包まれながら、その温かい優しさと共に私の残りの人生を歩んでいこう。

私がまだ生きているということは、生かされているということは、何かしらまだ使命が残されている。

けれど、それがスグに見つからなくてもいいし無理に見つけようと焦る必要もない。

やるべき事や出会うべきものとは、いつかきっと自然な形で出会える。

それにしっかりと気付けるように引き続きアンテナだけは敏感にしておいて、あとは毎日を自分で楽しくする

「僕の大嫌いな入院になっちゃったけど、入院中でも楽しめることを見つけるぞぉ~!おおぉーーっヽ(^o^)丿」

心不全末期における痛みと苦しさの中であっても、こんな言葉を笑顔で紡ぎ出すことができた息子の生き方が、これからも私のお手本です。

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藤子

13歳の息子を自宅で看取った40代ママ。重度の先天性心疾患だった息子が空へ還ってからの日々や、頭に浮かんだことをつらつらと。

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