息子が亡くなってすぐ、夫と私そして愛犬の2人と1匹は軽井沢の別荘へ移り住んだ。
移り住んだといっても元の住居は手放していないので2拠点生活なのだが、メイン住居を軽井沢へ移したため元の住居が別荘扱いだ。
もともと息子の病気療養ために探し用意した別荘だった。
別荘が多い林の中の地区のため静かで空気もそこそこ良く、観光客もこない場所であるところが気に入った。
新幹線が止まる軽井沢駅からそう遠くない立地も良い。
都内の会社で働く夫の通勤にも便利だ。
夫や私に似て人混みや人付き合いが苦手でのんびりとした生活が好きな息子にとって、緑に囲まれ静かで空気がいい場所はとても心地よいものであるとも思った。
物件内見に一緒に行った息子も大いに気に入り、本来であれば早々に家族全員で引っ越す予定だった。
ところが引っ越し一週間前に息子の体調が大きくくずれ、そのまま軽井沢に来ることなくあの世へと旅立ってしまったのだ。
最後の最後まで、息子は軽井沢へ引っ越すのをとても楽しみにしていて大きな目標の一つにし頑張っていた。
ハッキリ言ってしまうと息子にとって軽井沢の地はどうでもよく、軽井沢にしかない個人でやっているお目当ての食べ物屋さんへ行きたかったのだ。
もしもネット通販があれば、それで満足していた。
そういう子だった。
そして、自宅にある中庭に面した広いウッドデッキで焼き鳥を食べたかったらしい。
家から浅間山が見えるとかそういうのはどうでもよく、広い庭で焼き鳥が食べられるならどこでも良かったのだ。
おそらく中庭でのバーベキューもそのうち外に出るのが面倒になって、ウッドデッキに面している自分のお部屋の窓から肉がのったお皿をパパから手渡ししてもらって自室で食べるようになっていただろう。
そういう子だった。
そしてその予想と同じ行動を私が取っている。
なんなら、私のその行動を見て夫が「息子ちゃんが生きてたら完全にそうなってたよ」と言ったのだ。
血は争えない。
せっかくこんなに良い中庭があるのに家の中でばかり過ごしていてなんのために軽井沢へ来たんだ?と夫に言われるが、私自身は別に中庭を満喫したくて軽井沢へ来たわけではないので「逆になぜ外へ出ねばならぬのだ?家の中からも緑はたくさん見えるしまったり本を読んでいたいのだが?」となっている次第である。
家の中であれば耳元や顔周りに来る虫に読書を邪魔されないのも良い。
自然の多さだけであれば夫の実家のほうがよっぽど大自然に囲まれているし、我が家は完全に緑のみに飲み込まれている別荘でもなく、ウッドデッキからは地元の方の家の軽トラがいつも見える。
大枚はたいて軽井沢まで来てなぜよその家の軽トラを見なくてはいけないのか。
軽トラが常時視界にはいる中庭を、はたして「こんなに良い中庭」と言えるのか。
そもそも軽井沢と軽トラなんて、大衆イメージと最もかけ離れている組み合わせではないか。
軽トラもなぜそこにあるのかという位置に置かれている。もう少しご自身の家の近くに置いてくれたら我が家からは見えないのに。
夫はただ、「高級地である軽井沢で過ごしてる俺」に酔いしれたいだけなのだ。
まったくいやらしい男である。
軽井沢で生活してみるとよく分かるが、よくあるイメージの軽井沢とはだいぶ違う。
ただ別荘が多いというだけのごく普通の街だ。
登山で出会うような「自然」を求めてくるのであればそれも全く違う。別荘地内の緑であってもあくまで人間の手によって計画的に作られた場所であることが良く分かる。
確かに高級車率は高いし、スーパーへ行けば上品さが内側からにじみ出ている年配のご夫婦を見かける率も高い。
上品さがにじみ出ているご夫婦はザ・ブランドです!というものを身につけていないし、育ちの良さが全身からあふれ出ているほどに穏やかなのだ。
全てに余裕がある【平和の使者】といった雰囲気だ。
だが逆に、ザ・ブランドで身を固めているオジサンたちも一定数みかける。
こちらは目つきも鋭く、近づいただけでカマイタチがごとく斬られそうな雰囲気が漂っている。
どこでも良いのだが「アウトレット」という場所へ行くと必ず3人はいる、「体前面の4分の1ほど占めているのではないかと思えるほどに大きなポロのマークがついたポロシャツを襟を立てて着用しているハーフパンツお父さん」と同じ部類である。
自分が成功し上りつめるためには周りがどうなろうと関係なく薙ぎ払い、戦い打ち負かすことこそが唯一の手段といった雰囲気を纏った【戦の王】という雰囲気満載だ。
そう。平和の使者とは真逆の世界の住人なのだ。
だがほとんどは平和の使者でもなく戦の王でもなく、少なくとも見た目はどこにでもいそうな人たちで、「軽井沢」という先入観に身構える必要はまったくない地ということが分かる。
そういうお前はどうなんだと言われるかもしれないが、私は我が身を守るため、戦の王に目を付けられないようひたすらにひっそりと生きている。
私のような身分のものが失礼いたしますという気持ちで軽井沢書店の店内へと足を踏み入れ、「カフェ」などというオシャレな人間が集まる場所には目もくれず、大好きな本たちに目を輝かせながら「今日の一冊」を探そうとするものの、大人しい小型犬を抱っこしながら店内を徘徊するマダムの存在に圧倒され、駐車場に停まった外車から降りたあと慣れた様子でカフェに駆け込む戦の王の息子的男児にある種の恐れを抱き、ワクワクしながら手に取った伊坂幸太郎の本を急いで棚に戻してなにもできずに書店を後にして、隣にあるスーパーで大人しく買い物を済ませ帰宅するというひっそりっぷりだ。
私のような人間はブックオフや今にも潰れそうなまちの古本屋さんが一番安心するのだが、軽井沢にはブックオフもないし潰れそうな古本屋さんも今のところ見当たらない。
仕方ないからAmazonで新品の本を注文するものの、茶色い配送袋に雑に放り込まれキレイな梱包とは程遠い状態で送られてきた本のカバーや帯の端は、新品とは思えない姿で擦り切れボロボロになっていてショックを受ける。
Amazonよりも1日~2日遅くても良いから本が傷つかないよういつもキレイに届けてくれる楽天ブックスで注文すればよかったと毎度思うのに、早く読みたい欲が勝ってしまうのだ。
とはいえ我が家の周りは定住組・別荘組をふくめてご近所さんたちがめちゃくちゃ良い人たちで本当に恵まれている。
今のところ戦の王も周辺住宅にはいない。
全く知らない人にも「こんにちは~!」と満面の笑みで挨拶をする、古き良き時代の小学生のような私にも笑顔で挨拶を返してくれる。
どこが「ひっそりと生きている」のだと思われるのかもしれないが、挨拶は大切にしたい。
「だれやねん」と思っている人も多いだろうが、やはり軽井沢に住まう人たちは心に余裕がある人が多いのであろうか。
不審者扱いせずにちゃんと笑顔で挨拶を返してくれるのでありがたい。
そんな私は家の中に侵入してくる蜘蛛さんにも挨拶をかかさない。
「おはよう。あんたまだそこにおるん?」
「そこにおったらルンバに吸われるよ?」
蜘蛛は一番に苦手な虫だから、内心ドキドキしながら話しかけている。
家の中にいてもいいからその場所から絶対に動かないでくれと思いながら。
蟻には少し厳しい。
軍隊アリのように猛烈にデカい子が迷い込んでくるため、「あんたはね、いかんよ」と言ってホウキとチリトリを使ってなるべく外に出す。
蟻は噛まれると痛いからだ。
ゴキブリにはもっと厳しい。
「アンタは許さんよ!」そういって、凍結スプレーを持って追い回す。
昔はコオロギと同じだと思って接していたし今もコオロギくらいの感覚ではいるのだが、ゴキブリは汚いということを教えられてからは容赦せずに抹殺一択だ。
もはや挨拶どころではない。
「ゴキブリさんこんにちは!早速だがあの世へ行っていただこうか!」と早口でまくし立てる余裕があれば良いのにと思うが無理だ。
「絶対に目を離さんといて!」と夫に命じ、大急ぎで氷結スプレーを取りに行く。
軽井沢にはゴキブリは出ないなどと思っている人がいれば、残念でしたと伝えておこう。
ゴキブリもいるしデカい蜂もいるし、最近では蚊も出るようになったという。
カマドウマの数もえげつない。
避暑地と言われていた標高1000メートルの軽井沢も、もはや夏は暑くてエアコンを設置しているお宅が多いようだ。
冬はマイナス10度を下回る日もあるような極寒で、繁忙期には渋滞で道路が動かなくなる。
今日は浅間山がすごいキレイだよと夫に言われるものの、幼い頃から登山をしたり立山連峰に見慣れて育っている私からは「うん」という感想しか出てこない。
なにか付け加えるとすれば、「今日も噴火しませんように」ということくらいだ。
このように書いていくと軽井沢の良さって一体なんなのだと思い始めてしまうので、もう考えないようにしよう。
せっかく住んでいる軽井沢の良いところを見つけていかなくてはと心新たにしつつ、別宅では一度も使ったことのないゴキブリホイホイを眺めながら今日も軽井沢での1日が過ぎてゆく。