軽井沢生活 じぶんのこと

風立ちぬ~堀辰雄~

息子が大好きだったジブリ『風立ちぬ』。

この宮崎駿作品のモデルの1人となった作家・堀辰雄の『風立ちぬ・美しい村』の中に出てくる

幸福の思い出ほど幸福を妨げるものはない

という一節が目に入ったとき、心の中で大きく激しく首を縦に振ってしまった自分がいた。

奇しくも堀辰雄が過ごした軽井沢の地で息子のいない日々を過ごしている中で、堀辰雄の本を手に取り読んでみようと思ったのが数ヶ月前のこと。

読んでみようと思ったもののパラパラをめくってみただけでなんとなく読む気にならず、他の本をひたすら読みまくりようやく「さて、読もうか」という気持ちになった。

堀辰雄が過ごしていたことなんてつゆほども知らなかった「軽井沢」という地。

観光でも訪れたことがなかったのにただただ地理的な面や気候面だけでここが良さそうだと探し出して、「軽井沢で息子を療養させたい」と決めた地なのだ。

なんとなく皇族とかお金持ちの別荘がある避暑地くらいの情報しか私の頭にはなかったし、人生の中で一度くらいは行ってみたいとすらも思わない一切の興味がない土地だった。

軽井沢に住むようになって何ヶ月も経つが、軽井沢が好きとか観光がしたいという気持ちで軽井沢に家を借りたわけではなかったし人混みがとにかく嫌いで人とも極力接したくない私は、今ではほぼほぼ自宅のリクライニングチェアに座って過ごしている。

窓いっぱいに広がる木々を椅子に座りながらボーッと見つつ、ほとんどの時間本を読んで過ごしているのだ。

軽井沢に住んでいるのに結局グルメ巡りもしていないしアウトレットなんかに至っては30分滞在して1店舗も入店せず通路にいただけで「帰りたい」と後にした。

軽井沢でいいところを聞かれたら、真っ先に「涼しい」と答える。

愛犬を何度かお散歩に連れて行ったものの愛犬も外が大嫌いなので「お散歩いく?」と聞くと、クレートの奥深くに逃げ込んでしまう。

私も愛犬も家でのんびり涼しく過ごせていて、私達はそれぞれが良いと思う軽井沢を過ごせているからやはりこれで良いということになる。

もう一つの自宅が大変居心地が良く気に入っていることから軽井沢からそちらへ戻りたいと言うと、その近所に住んでいる友人は「今こっちに帰ってきては絶対にだめだよ、冗談抜きで本当に暑さで死ぬから軽井沢にいたほうがいいよ」という。

やはり軽井沢での過ごしかたは間違っていないようだ。

24時間ケアが必要で常に親の付き添いが必要だった息子を失い、突然ぽっかりと大量の時間ができた。

そうした中で自分の人生を振り返ってみたとき、唯一続いているものといえば読書で、人生でのターニングポイントや心がしんどいと思った時に救ってきてくれたのも本の世界だったことに気がついた。

ストレスが溜まった時にも読書をし、ただでさえ息子の育児と介護で睡眠時間が少ないのに何日も徹夜で読書をしていたときは、私の体を心配した夫から【読書禁止令】が出たこともあった。

自己啓発本はあまり好きではない。

読んだだけでやれた気になってしまう危険なものである。

すべてがすべてとは思わないが、進研ゼミが手元に届いただけで成績がアップしたと思い込んでいるのと同類に感じられるのだ。

小学校4年生の頃、算数の授業で手を挙げて答えた男の子が、答えに至った理由を先生に聞かれて「チャレンジ(進研ゼミ)に書かれてたから」と答えたのを聞いて、子供心に「いやいやそれはあかんだろ」と思ったのと同時に私の脳内には存在すらしなかった回答理由だったので非常に驚き面白かったのを鮮明に覚えている。

当然のことながら先生に「それは理由になってません」と怒られていたし、そもそも問題の回答も間違っていた。

他人が編み出したものをそっくりそのままコピーして自分のものとして使いそれに納得がいっているのであればどうぞご勝手にとなるが、私はとにかくそれができない・許せない・納得いくまで先に進めない性分らしい。

こうして言葉にしてみると、友人知人に悩み相談をしない自分の性質に納得がいく。

意見を聞くことはあっても、解決を求めるような相談はしないのだ。

自分が納得し確固たる理由や具体的な経験を元にして自分はこういう考えや行動に至っているのだと自信を持てるほどまで自らの手で落とし込む作業が必要なのだ。

これによって完全に自分の意思による決定で自分の責任・自分の選択であると心から思えるから、たとえその先がどんな結果になろうとも悔いはないし誰のせいにもしないで済むし周りがどう言おうとへっちゃらで自分の糧になったと思える。

いろんなジャンルの多くの小説を読むことで私のぐちゃぐちゃになった思考が更にかき混ぜられて、考えが行ったり来たりしならがそのうち遠心分離機で分離されるように自分の興味や進みたい方向や不必要で削ぎ落としたいものをクリアにしていってくれる。

感情というものに振り回されるのが嫌いな私は文芸作品は普段できる限り避けているジャンルだが、息子を失ってからというもの私は自分の感情をコントロールできず振り回されて疲れ切ってしまっている。

同じ「軽井沢」という地で過ごし、同じように病気で大切な人を失い、そして偶然にも息子が大好きだった作品のモデルだった堀辰雄という人が、この軽井沢での大切な人との日々や生と死をどのように捉え感じ書いているのか非常に興味が沸いた。

宮崎駿作品の題名ともなった「風立ちぬ」。

堀辰雄の「風立ちぬ」作品の中で一番有名なフレーズがおそらく

風立ちぬ、いざ生きめやも。

だと思われる。

だた、今の私が強く共感できたのは

幸福の思い出ほど幸福を妨げるものはない

という言葉だった。

【風が吹いている。私も生きなければならない、生きていかなければならない。】心のそこからこんな気持になれたら良いと思い、表面的にそんな自分を装っている日もあれば、本心で「よし前を向くぞ~!」と思える日もあるが、まだまだ気持ちの波が激しく、息子との日々の幸せが心の大半を占めていて今の幸せに目を向けて感謝することが難しくなっているのが現実だ。

それでも、どんなときでも常に「今」を生き、どんなことにも感謝をしていた息子を思い出しながら、過去を生きるのではなく未来へと進み自分の人生を生きよう、それが弔いにもなると信じ亀の歩みながらも次のステージへと進み始めている。

8月のお盆が終わり日本列島では40度前後の猛暑が続いている中でも、軽井沢は今日も心地よい風が吹いている。

風立ちぬ、いざ生きめやも。

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藤子

散文家。2025年、13歳の息子を自宅で看取った昭和57年生まれ。おしゃべりな脳を、散文に。

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