じぶんのこと むすこ 不思議な体験

魂は死なない

息子がこの世を去る1~2年前から、「魂」というものについて考えるようになっていた。

亡くなる1~2年前といえば息子はまだまだ元気だった。

健康体で生まれてきた子と比べればまったくもって元気ではないし検査数値としては生きていられるのが不思議なほどではあるものの、実際にひどい症状として現れて苦しんでいるかというとそうではなく、なぜ日常生活を送れているのか分からないまま相変わらず医師も不思議な気持ちのまま見守っていてくれた。

「病は気から」というのを私は強く信じていることもあり、息子の精神面が病状に大きく関わり良い状態を保ってくれているのだろうと感じていた。

20歳まで生きられないと言われていたものの、まさか13歳という年齢で目の前からいなくなってしまうとは思いもしていなかった。

これまで何度も危機を乗り越え、なぜ生きていられるのか信じがたいと医師から言われてきた息子だから、「微妙に不調」が続きながらも20歳を超えても一緒にいられると信じて疑わなかったのだ。

そのために、学校を卒業した後の息子の居場所づくりも考えて動き始めていた。

(改めて考えてみると、あの病状で13年もの間ニコニコと生きてくれていたことのほうが凄いことなのだが)

それなのに前世や過去世といった生まれ変わりといったことに興味を持ち始めたり、肉体は滅びても魂は死なないのだということに思いを巡らせるようになったのは、もしかしたら現世で息子の肉体と別れなくてはいけない日が近づいていることが大きな世界の仕組みではもう決まっていたことだからなのかもしれない。

息子が生まれたその日から、いつ別れがきたとしてもおかしくないことを理解し、だからこそ毎日を濃く大切に過ごしながらコツコツと覚悟を決めてきた私への『ダメ押しの覚悟』として、魂は死なないんだよということを誰かが伝えよう・教えようとしてくれたのかもしれないと感じている。

神様は全てのものに宿っていると私は考えている。

息子が生まれる前からそう思って生きてきた。

(そう考えながらも多くの虫を殺戮してきた。だってね、家の中はあかんよ。不法侵入だわ。)

だから特定の神様に祈りを捧げたり信仰することはしていない。

そいういう意味では仏教でも神道(神社神道)でもなく無宗教だし、どこかの枠組みに入れなくてはいけなとなれば「古神道」なのかなと考えている。

そのため自宅では暗記している「ひふみ祝詞」を唱えている。

そんなこんなで魂は死なないという話に戻すと、現世で家族や親子や親しい友人になっている関係は過去世でも何かしらの関係があったことが多いらしい。

現世では親と子だけれども過去世では恋人同士だったり、親と子が逆転していたり。

そして多くの魂は、その魂のレベル・霊格を上げるために自らに課題を課し決めた使命を果たすために次の世に生まれ変わるのだとか。

重い病気を抱えて生まれてくる人というのは、それだけハードなことにも耐えることのできる格の高い魂で、更に魂を磨こうと自らに課題を与えて生まれてきた魂でもあるんだとか。

信じるか信じないかは人それぞれだけれども、本当にその通りだなと思うくらいに息子の精神力が異常に高かったのは確かである。

病気に耐えたという意味での心の強さを言っているわけではない。

耐えるも耐えないもなく、良いとか悪いとかでもなく、ただただ「これが自分。以上。」という姿勢なのだ。

人生の中で一度たりとも周りの子供たちと自分を比較したこともないし、走り回れる子たちを見て羨ましいと思ったこともなく、妬んだこともなく、「僕は僕」。

すべてのもの・人に感謝をし感謝を伝え、いつでも笑顔だった。

親だから誇張して自慢していると思われるかもしれないが、本当にその通りなのだ。

成長と共にそうなっていたとかではなく、13年間ずっとそうだった。

だからこそ息子はものすごく大きな影響を周りの人達の心に与えていった。

心だけではなく社会制度をも変えるきっかけとなり、そのためのお手伝いも(本人の預かり知らないところで)していた。

どうやったらこんな子に育つんですかと何度聞かれたか分からない。

「私は特別なことは何もしていない、生まれながらにしてこういう子なんだと思います。」いつもそう答えていた。

「なんでアンタだけがそんな(出来損ない)なんだ」「お兄ちゃんとおんなじように育てているのに」と幼い頃から母親から言われて続けてきた私だから分かる。

環境からの影響はもちろんゼロではないにせよ、「生まれながらにして持っているもの」というのはとても大きいのだ。

黒柳徹子さんの『窓際のトットちゃん』に出てくるトモエ学園が昔からとても大好きで羨ましくて、もしも将来自分に子供ができたらトモエ学園の校長先生みたいに接しようと決めて実際に実行していたくらいだ。

私には前世の記憶も強い霊感もないため、過去世ではどんな人物だったのかにとても興味がある。

幼少期から怖がりのくせに怪談が大好きで、小学校の図書室では『学校の怪談シリーズ』はじめ怪談系を制覇していたくらいに幽世や別の世界に興味があった。

そんな私は高校時代か大学時代に携帯電話(ガラケー)で無料の前世占いをしたことがある。

『あなたの前世は、奴隷解放のリーダーです』

どうやらどこかしらの奴隷だったらしい。

夫は過去世の記憶がある。

記憶があるというと大げさなレベルだが、幼い頃から体調を崩すと必ず見る夢があるんだとか。

見る夢の内容は毎回同じ。

どう考えてもとてもとても昔、歴史の資料集に出てくる弥生時代とか縄文時代とかそんなような布切れみたいな服を着ているらしい。

少しミスをすれば滑落して死んでしまうような蟻の塔渡りを、家族のような人たちと共に移動している映像なんだとか。

今までの40数年の人生でトラウマになるようなことを一切経験していないのに、夫は異常なまでに高所恐怖症である。

そのため、この過去世(かもしれない夢)での何かしらの恐怖体験が魂に刻まれていて、それが現世での高所恐怖症に関わっているのではと夫は疑っている。

そしてその夢の中に子供が一人だけ出てくるらしいのだが、その子の生まれ変わりが息子なんじゃないかと夫は疑っている。

夫も含めて夫の母方の家系は「視える」系の霊感があるため、本当にそうなのかもしれないなと私は興味深く聞いている次第だ。

そして私自身は本当に過去世(何度前の過去世かは分からないけれど)が本当に奴隷だったのかを確かめるべく、YouTubeで見つけた催眠療法で過去世を見ることにチャレンジしている。

大学時代に当時付き合っていた人が幽体離脱にチャレンジするということを頻繁に行っていたが、そんなバカなことをして戻れなくなったらアホの極みなので幽体離脱チャレンジなんてことは私はしない。

寝るときにスマホを耳元に置き、「前世を紐解く」みたいな催眠療法の動画を探して再生する。

誘導されるがまま頭の中にそれぞれの内容を思い浮かべていくのだが、私はふだんから人の話を聞いていても頭の中で脱線しはじめて「聞いているふう」になることが多いので誘導の質問に集中するのがなかなか大変である。

それでいて「その扉を開けてください」というような言葉が誘導の途中にあるのだが、扉を開ける前にだいたい眠りに落ちてしまっている。

気がついたらその動画は終了しておりYouTubeのCMが流れているのだ。

かれこれ10回は前世への催眠誘導にチャレンジしているが、一度も最後まで聞けていたことがない。

これでは催眠ではなくただの睡眠だ。

それでも今夜私は無料動画で前世チャレンジを試みる。

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藤子

散文家。2025年、13歳の息子を自宅で看取った昭和57年生まれ。おしゃべりな脳を、散文に。

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