義理の母は変わっている。
私に変わっていると言われるのだから、相当に変わっている。
いや違う。私自身が「変わっている」と言われるわけだから、もしかしたら義母は世間では「普通」と言われるのかもしれない。
だがここではあくまで私視点で「変わっている」と感じる話をしようと思う。
なにをもって「変わっている」のかというと、「私の脳内の常識からは完全に逸脱していること」を変わっていると定義する。
夫とは2010年に結婚をした。
それから1年数か月後に息子が生まれ、何年かした頃の話だ。
夫の実家はそれはそれは山の中で、虫たちは太古の姿をしているのではないかというほどに大きく、人間よりも獣のほうが数が多い。
庭には鹿も猿も訪れ、さあ収穫をしようという野菜を根こそぎかっさらってゆく。
更にはこの令和の時代にあってもなお「部落」という言葉を使っている。
もっとも、自分たちが住む集落のことを自分たちで「部落」と呼んでいるだけなので、当人たちには差別意識など毛頭ないのであろう。
とはいえ、聞くたびにヒェっと感じてしまう。
そんなとある部落である夜、火事が発生したという。
田舎あるあるなのだろうが、とにかく他所様の噂話が三度の飯より好きだ。
日がな一日、噂話以外にやることがないほどに暇なのだろうかというレベルで噂話ばかりし合っている。
畑仕事や家事などやることがたくさんありそうに思えるのだが、噂話をするためにその他全ての仕事を猛スピードで終わらせているのかと思うほどだ。
そんな部落で発生した火事に部落中のネットワークシステムが発動した。
まず義実家の固定電話が鳴り、同じ部落に住む遠縁の親戚から火事の報告だ。
「〇〇(屋号)んとこが火事だよ!」
そう。屋号で呼び合うのだ。
ちなみに義実家の屋号は「みやのした」だ。
宮下なのか宮ノ下だったかは忘れたが、とりあえず神社(お宮さん)がある小山の下に家があるから名付けられたらしい。
氏子たちを見て神様は何を想うのか。
火事の一報を受けた義母と義父は、自宅敷地内で一番遠くを見渡せる場所へと走る。
先祖代々のお墓が並んでいる場所だ。
夫いわく、「うちの家とは関係ない人の墓もある」とのことだが、なにかしら関係があったからいるんでしょうよと思いながら手を合わせている。
あたりまえのように母屋から持参した双眼鏡を覗き込み、火事が発生している家を観察する義母。
ちなみに双眼鏡は玄関にひっかけてあるので、頻繁に双眼鏡で覗いているのであろうことは容易に想像できる。
玄関に双眼鏡が常備してある家なんて、うちの義実家か野鳥観察が趣味のお宅ぐらいだろう。
地域の消防団による消防車が何台も連なり火事現場へ行く様もしっかり観察する。
街灯もほとんどない山の集落での真夜中の火事は、電気に照らされた街中の火事よりも炎の激しさがよりはっきりと分かる。
自分たちの墓所において他所様の不幸を双眼鏡という道具を使ってまで野次馬観察をする子孫の姿を見て、ご先祖様たちはなにを想うのか。
双眼鏡での火事観察を終えたあとは母屋に戻り、部落ネットワーク網での鬼電が始まる。
火事という災難に見舞われてしまったご家庭の心配をするためでも、皆で支えていこう何か助けになることはないかという話し合いでも当然ない。
「あれは大変だよ、これからどうするのかね、火元はなんだろうね」
そういう噂話を楽しむためである。
当人たちは「楽しんでいない」と断言するであろうが、双眼鏡を引っ張り出して野次馬のように観察し、ただ勝手な憶測の会話で盛り上がっているだけの様子は「人の不幸を時間つぶしの楽しい遊び道具にしている」以外なにものでもないと私は思っている。
そのような大人たちの環境で育ってきた夫もまた、同じような行動をとる。
事故現場に遭遇すれば、なんだかワクワクしたように言葉を弾ませて「うわぁ~~~~、事故だ事故だ!」と言い、事故に遭った人たちの心配など一ミリもしない。
フラフラしながら大荷物を抱えている老人を見かけると「おいおいおいおい、あのじいさん大丈夫かあ~?」と言うだけで当然のごとく手を貸そうともしない。
こんな感覚でいることを、なんだかお気の毒様と思う。
そんな父方の精神を息子が引き継がなくて本当に良かったと私は心から思っている。
病状が悪化して自分が痛みや苦しみの中にあっても、いつだって見ず知らずの子を助けに行こうとしていたし私の身体を心配してくれていた。
もちろん、父方に似て良かったと思う所もたくさんたくさんあるので、これはほんの一部ではある。
そんな義母は、私に火事の報告をした日とは別の日に夫にも火事の報告をした。
夫の方が地域のことや人を知っているので、より詳しく話せるし通じると思ったのだろう。
夫にはこう言っていたそうだ。
「よく燃えてたよ!!」
部落ごとなにかしらの呪いにかかっているのだろう。
きっとそうに違いない。