むすこ 小学生時代 じぶんのこと

結局怒られるんじゃん

小学校3年生か4年生の頃、私は味噌壺を割った。

味噌壺というと、台所のシンク下に置けるサイズの茶色い壺を思い浮かべるが、そうではない。

茶色い壺には変わりないが、異常にデカかった。

お金持ちがなぜか小銭を貯めている場所として選んでいそうな、異常なまでにデカい味噌壺だった。

味噌やその他食糧とはなんの関係もない他の荷物たちと混ざりながら大きな布がかけられていた味噌壺。

掃除や整理整頓が苦手な母が「とりあえず布をかけておけば雑多な感じが隠せるだろう」とかけた布に違いない。

薄い布一枚挟んで、ドでかい味噌壺の隣には籐で作られた回転式の背もたれ椅子があった。

物心ついた時には我が家にあった椅子だ。

一人遊びが好きな私は、その椅子を回転させるのも大好きだった。

どのくらい回転させるのかというと、激しい遠心力によって椅子の土台が浮き上がるくらいである。

同じく小学生の頃、「ブランコを漕いでどこの高さまでいけるか」という遊びを1人で実行していた。

家から歩いて10分ほどの学校までテクテク歩いてゆき、ひたすらにブランコを漕ぐのだ。

そこそこ運動が得意だった私は鉄棒で永遠に回転し続る技を習得済みだったので、「ブランコで回転できないか」と考えたこともあった。

だがしかし、校庭のブランコは回転するための構造になっていないのだ。

そこで「どこの高さまで到達できるか」という遊びに変更することにした。

これはもはや遊びではなく、自分への挑戦とスリルの探求であった。

結局、地面と平行になるラインを越えてしまうとブランコのチェーンは弧を描いたまま戻ることができずに垂直落下に近い状態で地面に引き寄せられることが分かった。

チェーンがあるためそのまま地面に叩きつけられるわけではないのだが、チェーンが極限まで伸び切った衝撃が一気に体にくるため、体の柔らかい子供とはいえダメージはそこそこ大きかった。

それに、垂直落下する直前は空中でいったん止まる。

なにかを空中へ放り投げた時の一瞬のフワっというスローモーションのような状態だ。

このある種の停止状態から一気に急降下し衝撃を受ける一連の流れは、なかなか心臓に悪い。

「今日はこのくらいにしておこうか」

小心者のくせに上から目線でそう思い、「本日のブランコ」が終了となる。

ブランコと同じくらいに激しく回された籐椅子の背もたれは、もはや斜め45度くらいまでに倒れて回っていたと推測される。

パリン。

小さな音が鳴った。

優しい音とともに、じわーーーーっと味噌の匂いが充満しはじめる。

私が心底大好きな赤味噌の匂いだ。

と、好みの匂いに心癒されている暇などもちろんなかった。

汚部屋隠蔽のために母がかけた大きな布をめくってみると、割れた味噌壺がそこにあった。

そのガタイのデカさからは想像もできないほどに可愛らしい音で割れた壺。

容易に想像できる、可愛らしさとは程遠い鬼の形相の母。

私はまたそっと布をかけた。

母は汚部屋隠蔽のために布を使い、娘は割れた味噌壺隠蔽のために布を使った。

だが残念なことに、人間に与えられた能力の一つに「嗅覚」というものがある。

汚部屋は視覚さえ封じてしまえばなんとかなるが、味噌の匂いは嗅覚の封じ込めが必要だったことに私は気付いていなかった。

もし気付いていたとしても、「鼻を塞いで」と突然言いだそうものならそれこそすぐにバレてしまう。

「なんか味噌の匂いがするよ」という兄の通報により、味噌壺破壊犯の私はあっさりと母に捕まった。

第一発見者のふりをして実は兄が破壊犯なのではないかなどとは、母は微塵も思わなかったようだ。

「普段のおこない」が周囲の人間からの評価や判断にどう影響を及ぼすのか、まるでお手本のような流れである。

「なんで黙ってたの!!」母が猛烈にブチギレている。

「怒られると思ったから」そう私がこたえる。

「怒るに決まってるでしょう!!!!」更にブチギレている。

(なんだ、素直に報告したところで結局怒られるんなら報告しても損するだけじゃん)

心の中でそう思いながら、ブチギレた母を見ていた。

今思えばこの時の私はまだ、「反省」という概念の形成が未完了の生命体であった。

結局母は、私が壺を割ってしまうという結果になぜ至ったのかという部分に目を向けることもなく「壺を割った事実」のみに激怒を続けて私の尻を叩きまくった。

素肌の尻を丸出しにされ叩かれ、お尻には叩かれた手の痕がモミジのごとく真っ赤についていた。

漫画やアニメでしか見たことのないような尻の叩かれかたに「こんなことって本当にあるんだ」と思いながら、ヒリヒリと痛みが残る自分の尻を見て「おおぉーーーーーーっ、これが噂のモミジ。」と感動したことを昨日のことのように覚えている。

やはり反省はしていなかったようだ。

ただこの事件以来、「将来自分に子供ができたら、結果だけを見て怒鳴ったり怒ったりは絶対にしないようにしよう。子供には子供なりの理由がちゃんとあるし子供もちゃんと考える力は持っているんだから、目線を合わせてまずはちゃんと子供のお話を聞こう。それから、こちらの想いも伝えよう。」そう決めて生きてきた。

そして息子にもそのように接してきた。

赤ちゃんだからとか子供だからということは理由にしなかった。

そのおかげか、息子とはこんな会話が当たり前のようになった。

「ママごめんなさい、これを使っていたら壊れてしまいました。」

「どうしてそれを使おうと思ったの?」

「ママに喜んでほしくて、プレゼントを作ろうと思ったんです」

「ありがとうね、息子ちゃんは本当に優しいね。ママのために自分で頑張ろうって思ってくれたんだね。でも怪我をすると危ないからこれからはママに言うか、上手に使えるようになるまでは他の道具を使おうね」

「はーーーい!」

ギュー――――――――(ハグ)

これを味噌壺のパターンに当てはめてみよう。

「お母さんごめんなさい、隠されていた味噌壺に気が付かなくて割ってしまいました」

「なにをどうしたらこの大きな味噌壺を割ることになるの」

「籐の回転椅子を遠心力制限マックスまで回し漕いで遊んでいたら、傾いた椅子の背もたれが当たってしまいました」

「この椅子は遠心力の最大値を測るためのものじゃないから、これからは静かに回転させようね」

「はーーーーーい」

息子のエピソードと比較したことで自分のアホさが際立ってしまった。

エキセントリックな行動を繰り返す娘に、母はさぞ苦労したことだろう。

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藤子

散文家。2025年、13歳の息子を自宅で看取った昭和57年生まれ。おしゃべりな脳を、散文に。

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