【習い事】茶道編

茶道
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最近の子供は、塾に習い事に忙しいですよね。

平日は学校後に遊べないなんてこと、珍しくないんだとか。

 

ゆうり
下校後にはグラウンドにあるブランコで【到達可能最高地点から落下するスリルを味わう】という遊びを1人永遠と楽しんでいた私にとって、「遊べない」というのは拷問そのもの。(今はインドア派だけど)

といいつつ私も、中学生までは色々な習い事をやらせてもらっていました。

同時進行で習っていたものばかりではないので、平日はバッチリ遊んでいましたよ。(子供は遊ぼう!)

 

親からやりなさいと言われたものは1つもなく、全部自分が興味をもったもの。

  • ピアノ
  • そろばん
  • 習字
  • スイミング
  • 茶道
  • 華道

たぶんこれで全てだと思います。

 

この中で、周囲で習っている子がいなかったのが茶道と華道。

 

私が小学生~中学生の頃に習っていました。

茶道4~5年・華道2年ほどだったと思います。

 

華道は草月流(そうげつりゅう)

茶道は表千家(おもてせんけ)と裏千家(うらせんけ)

 

 

それぞれいろいろ流派があるのです。

転勤族

我が家は転勤族だったので、私は小学校だけで3校行っています。

華道に関しては転勤先の近くに教室がなくそのままSTOP。

 

茶道は別流派の裏千家で学び直しました。

面白かったのは茶道

私は古くからあるもの・昔のものが好きです。

 

古い建造物も好きだし、歴史も好きだし、和装も好き。

スカイツリーに行くくらいなら、近所を適当に歩いて見知らぬお社(やしろ)を見つけるほうが好きです。

 

嫁ぎ先の田舎に古くから残っている風習なども、「面倒くさい」と思う方ではなく結構興味を持って教えて欲しいと思うタイプ。(「本当に大変だから、ゆうりさんはやらなくていいよ」と言われて教えてもらえないけど)

 

誰かからの影響とかではなく、生まれ持った性格じゃないのかなと思っています。

 

そんな性格なので、茶道に興味を持ったのはごく自然の成り行きでした。

 

始めたのは小学校4年生の時。

週に1回お稽古に通い、中学2年生でやめました。

茶道の道具

実家には茶室はありませんが、自宅でも練習したいと思い色々な道具を買ってもらいました。

茶碗、柄杓(ひしゃく)、水差し、なつめ【お抹茶の粉をいれておくもの】など

 

特に茶碗は古くて渋い気に入ったデザインのものを買ってもらっていました。

 

今では殆ど実家にありますが、手元には袱紗挟み(ふくさばさみ)・袱紗(ふくさ)・古袱紗(こぶくさ)という道具のみ思い出として持っています。

小中学生の時に使用していたものなのでもう25年ほど前のものですが、こちらです。

↓ ↓ ↓

茶道

(こうやって見ると、渋い小学生…)

実際にはこの他に、扇子や懐紙(かいし)・菓子切りなどをセットで持ちます。

背筋が伸びる

お稽古といっても、和気あいあいとした雰囲気の中で行われるわけではありません。

教室にもよると思いますが、私が通った教室は2箇所とも静かで厳かな雰囲気の中で行われていました。

 

ちょっとした衣擦れの音や、ゴックンと唾液を飲み込むような音さえも目立つような。

 

1人でお稽古を受けるときもあれば、早く着いた大人の生徒さん達がお客様の役をやってくれる場合もありました。

 

【子供だから】という雰囲気は一切なく、1つ1つの動作・所作を丁寧に正しく美しく進めていかないと「やり直し」でした。(言い方は優しいですよ)

 

学校では「うえぇぇぇぇぇぇぇいヽ(=´▽`=)ノ!」とバカ丸出しではしゃいだり恋の話で盛り上がってる普通の女児でしたが、ひとたび茶道のお稽古に入ると身体の芯に一本槍がささっているかのごとく心身共に【スッ】と伸びた状態になっていました。

お抹茶がおいしい

とにかく私はお抹茶が好きでした。今でも好きです。

薄茶(うすちゃ)も濃茶(こいちゃ)も大好き。

 

  • 薄茶・・・一般的に知られた「お抹茶」として出てくる飲み物
  • 濃茶・・・お抹茶の粉に対してお湯の量がとても少ないドロっとした仕上がりのもの

 

口の中に含んだ瞬間にジワジワーっと広がる苦味の感覚が快感で、やみつきに。

小学生とはいえ既に4年生だったので、そう感じたんでしょうか…もっと年齢が下だったら「まっず!」となっていたのかも。

 

自宅に帰っても、お抹茶を点て(たて)れば飲んでくれる人がいたので、頻繁に点てては提供していましたね。

お菓子が美味しい

苦いお抹茶と合うように用意されている見た目も美しい和菓子もまた美味でした。

その日のお稽古で点てるお抹茶に合わせて先生がいつも違った和菓子を準備してくれていたので、「今日は何だろ~~~(〃∇〃)」とワクワクしていたのも子供ならではの楽しみ方だったと思います。

 

今でも、洋菓子より和菓子のほうが好きです。

大人になって役に立ったこと

いちおう免状(級みたいなもの)も持っていますが、たった4~5年習っただけで何の役に立つのか…将来役立たなければ習う意味なんてないじゃないか。

 

そう思う親御さんもいると思います。

一生懸命働いて稼いだお金をお月謝として払うんですから、確かにそう思ってしまっても仕方がありませんよね。

 

私自身が感じている【役に立っていること】は2つあります。

役に立っていることその1

法事の時に足が疲れない。

 

 

 

しょーもな!

 

 

と思うかもしれませんが、結構皆さん正座が苦手な様子なんです。

膝関節を痛めているとかではなく、【足がしびれる】というポイントでつらそうにしている。

 

ところが、茶道は基本的にずっと正座です。

特に客としている場合は尚更。

 

正座がつらくなったから「ちょっと外へ…」なんてこと、あってはならない。もってのほかです。

 

しびれそうな時は、ばれないように良いタイミングでスッと上手に足を組み替えたりするわけです(教わりました)。

 

あとは【慣れ】ですかね。

正座でいることに慣れているかいないかで、違ってくるような気がします。

 

また、正座をしたときの姿勢の美しさへの意識も身体に染みているので、自然と背筋が真っ直ぐになります。

役に立っていることその2

【役に立っている】という言い方が適切なのかはちょっと難しいところですが、日本芸術の美しさの片鱗を経験したという事実は私の人生に潤いを与えてくれています。

 

茶道の雰囲気は、普段の生活では絶対に感じることが出来ないものです。

鎌倉などにあるお茶屋さんみたいな感じでしょ?と思っているなら、それは全く違います。

 

 

シン…とした完全なる静寂の中に響くお湯がゴポゴポと沸く音・お抹茶を点てる音・足袋がスッスと擦れる音…

静と動の音の中で感じる荘厳さは、それだけで美しい芸術品のようなものなのです。

 

また、雰囲気だけでなく茶器や掛け軸ひとつひとつが芸術品。

そして作法という名の芸術…。

 

 

私は自分のルーツ(遺伝子的な)は知りませんが、日本で生まれて日本で育ちました。

自分が生まれ育った場所に対して愛着を持つのは素敵なことだと思うし、その国の歴史や伝統的に受け継がれてきた「美」を知るのはとても興味深いものです。

 

そのうちの1つに触れることが出来たことで、私自身の中に「美しさ」の形が加わったように思います。

「お茶を飲む。」たったこれだけの事が、【茶道】という1つの芸術の域に達しているって凄いこと。

 

ここからは全て私が勝手に感じていることですが…

静と動の芸術は、静寂な山の中で聞こえる木々のざわめきや夜の浜辺に打ちつける波音に似ているように思うんです。

まるで古来から日本にいる八百万(やおよろず)の神々をすぐ傍に感じるかのような厳かな時間。

 

芸術品として創られたものでありがなら、そこで得られる感覚は、さながら自然の神様達を感じる感覚と似ているわけです。

 

茶道という芸術品は自然美と通ずるものがある。

たったこれだけのことですが、この自然美を【感覚】として感じることの出来る芸術を経験できたことは人生の中で大きな価値で、贅沢な潤いや温かみを心の中にもたらしてくれるものであったことは確かです。

茶道は大人の習い事にもおすすめ

私の周りで子供の頃から茶道を習っている人はいません。

通っていた教室でも成人した女性が圧倒的に多かったです。

 

みなさん本当に穏やかな顔をして楽しそうに指導を受けていたので、日常から離れた場所で日々のストレスから解き放されていたのかもしれませんね。

 

結論:茶道は一生に一度は経験する価値がある

もし時間とお金に余裕があれば茶道は一度体験に行っておくべき習い事です。

学校の成績に直結するものでもないし、職にするのもあまり現実的ではありません。

 

でも心に贅沢な潤いを与えてくれる習い事を1つくらい習っても良いと思います。

 

作法という芸術……例えば、ふすまを開けるという行為ひとつとっても美しい動きがあります

 

これを自然と出来るようになったら、素敵だと思いませんか?

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